以前一人で旅行中に夕食までの時間つぶしに入った本屋で「暇と退屈の倫理学 著:國分 功一郎」という本を知って、面白そうだとチェックしていたのですが、最近やっと読むことができました。
ルソー、ニーチェ、ハイデッガーなど先人たちの「暇」や「退屈」についての哲学や考え方などを踏まえながら書かれているのですがとても面白かったです。
ざっくりいうと、
暇:ある種の「自由な状態」であり、創造性や倫理性が問われる可能性がある
退屈:自由の中で意味を見出せないことに起因する「不安」や「空虚感」
という感じでしたが、興味ある方は是非実際にお読みになってみてください。
「暇と退屈の倫理学」によると現代人が暇を持て余すことで退屈を感じ、それを埋めるために消費や娯楽に依存する傾向を批判する内容なのですが、私の服に関する意識と通ずるものがあって面白かったので少し書かせていただきます。
浪費と消費は異なる意味合いがあり、この本の中でいう「浪費」の概念は、現代の消費社会が「効率的」や「目的を持った消費」を重視する中で、あえてその枠を外し、目的がなくても楽しむことに価値があると提唱しています。
逆に「消費」に関しては、効率化や生産性の追求、無意味な消費、過度な成功志向、暇や退屈の否定など、現代社会の価値観に偏り過ぎた行動です。
これらは、心の豊かさや満足感、人生の本当の価値に繋がらないとして批判されています。
ものすごくめちゃくちゃ簡潔にかみ砕くと、【人はヒマや退屈を感じるとついモノや刺激でごまかすけど、本当は“考えること”や“無駄を楽しむこと”にこそ、生きる喜びがあるんだよ。】みたいなことです(笑)
全ての内容は書けないのでし少し飛躍しますが、自分が心から好きなものを楽しむことはいいけれど、他人の目や価値観に合わせてで生きていると心から充実しないよ。といった感じでしょうか。
例えば誰にも知られていないアーティストでも心からファンになって応援するのは心が充実するけど、周りが騒いでいて人気があるからなんとなく自分も好きだと応援しているのでは心は充実しません。
ブランドでも同じようなことがいえます。
高級外車に乗っていても「人気があるから」「周りから称賛されるから」「自慢できるから」という理由で乗っていると、自分の本心ではないのでいつまでたっても心の枯渇を埋めることはできません。
逆に同じ高級外車を乗っていても、その車自体に心から惚れ込んで誰が何といっても好きだと思えるなら、それは充実度を与えてくれるとても価値のあるものになります。
服でも同じですね。
私は服が好きなので、昔から休日でもスーツを着てカフェでのんびりしウインドショッピングすることも多いです。
ただ好きな服を着て散歩するのが好きなのです。
数十万するイタリア製スーツを着て高級靴を履いて、メガネや靴下、ネクタイを考えて着こなしてみる。しかし当たり前ですが、誰も自分のスーツに気づく人もいませんし価値を見出す人もいません(笑)
このステッチが、この袖付けが、この生地が・・・なんていっても誰も興味持ちませんし、言っても「へぇ」で終わるでしょうし、自分もわざわざ話しません(笑笑)
しかし自分が好きでやっているだけなので、それだけで楽しいですし背筋が伸びウキウキします。
完全自己完結型のナルシストの自己満足なのですが、これが心には重要だというのですね。
食べることが好きなので、好きな服で着飾って高級レストランでゆっくり食事する。
これも価値ある浪費です。
食事を「栄養補給」や「効率的に空腹を満たす手段」としてでなく、「時間」や「空間」そのものを味わう行為として楽しんでいる。
自分の感性や美意識を満たす営みであり、目的から解放された「贅沢な無駄」であり、心を整える時間や、自分を大切にする行為に繋がっています。
逆に「SNSに載せるために来た」「誰かに自慢するために来た」となってしまうと、無駄な消費になってしまいます。
スーツというのは目的があるのが普通です。
「仕事だから」「営業だから」「結婚式だから」という目的。
これは仕方ないことです。
しかし、選択の幅に余裕があるのであれば心が躍るような好きなスーツをお選びいただきたいと思っています。
「派手かもしれないけど、このスーツに一目ぼれした」
「着ていく場所はないけれど、この服は心がときめいた」
「夜の街を歩くだけのために仕立てた渾身のジャケット」
「夏は暑いけど、やっぱりこの生地で着こなさないと」
「この生地、重いし機能性ないけどかっこよすぎでしょ」
“ただ好きだから着る”という贅沢な浪費が、生きる喜びをじんわり教えてくれるのです。
効率が大事だと叫ばれている昨今ですが、心が疲れて大事なことを考える余裕がない人が多い。
無駄の中にある価値を見出せると、人生はもっと豊かになるのかもしれません。