冬アウターで見る「効率」か「美学」か。

家を出て駅まで歩いているときにふとロングコートについて考えていたんです。

そしていつものスタバに寄って、あまり見かけない20歳くらいのスタッフさんと何気なく服の話になった際、本当に偶然なのですが「私、ロングコートが好きでよく着るんです」と話してくれました。

ダウン全盛でコート派が減っているいま、若い世代の方がロングコートが好きだと「コートの美しさ」を感じ取っている。

その感性にテーラーとして非常に温かい気持ちになりました。

実際、今の街中を見渡せば、圧倒的にダウンジャケットが主流ですからね。

軽くて温かく、手入れも楽。

これほど合理的な冬の正解はありません。

忙しい現代人にとって、ダウンは心強い「日常の相棒」と言えるでしょう。

しかし、なぜ私はロングコートやウールのコートを好きなんでしょう。

そんなクラシックな服装が好きな人たちの共通点を考えたことがあります。

 

 

 

「手間」を慈しむ、大人の余裕

ロングコートは、決して「楽」な服ではありません。

ダウンに比べれば重さもありますし、可動域も制限されます。

雨の日には気を遣い、帰宅すればブラッシングを欠かさない。

型崩れしないよう、厚みのあるハンガーに掛けて休ませる……。

一見すると「面倒」に思えるこれらのプロセス。

ですが、この手間をあえて受け入れる姿勢こそが、その人の「心の余裕」や「佇まいの美しさ」を形作っているのではないでしょうか。

かつて、装いは「自分を飾るため」だけでなく、「その場や、お会いする相手への敬意(マナー)」でもありました。

王室などはダウンではなく、ウールやカシミヤのコートを着ていますよね。

自分の利便性よりも、その場にふさわしい品格を優先する。そのストイックなまでの美学が、コートの背中から静かに滲み出るのです。

 

 

 

効率の先にある、自分だけの「基準」

もちろん、ダウンジャケットが持つ「機動力」や「最先端の機能美」は素晴らしいものです。

分刻みのスケジュールをこなすビジネスリーダーにとって、それは戦略的な選択でもあります。

ただ、私が日々多くのお客様と接する中で感じるのは、ロングコートを愛する方々が持つ「独自の審美眼」です。

彼らは、流行や効率といった外側の基準ではなく、「自分がどうありたいか」という内側の基準を大切にされています。

それは、鞄や靴、時計の選び方にも表れます。

成りあがったベンチャーなどの社長は分かりやすい高級ブランドを好む傾向があるというデータがあります。

パッと見で分かりやすく、即座に自分を主張できる。

逆にクラシックなロングコートなどを愛する人は、ブランドのロゴで価値を主張するのではなく、その道に特化した職人の手仕事や長く愛せる「本質」を静かに選ぶ。

そんな、自分を律する力が、磨き抜かれた革靴や、丁寧に手入れされたコートの襟元に宿ると思うのです。

 

 

 

「面倒くさい」は、自分への愛情

ファッションとは、究極的には「自分という人間に、どれだけの手間をかけているか」の履歴書かもしれません。

「効率」や「楽さ」を優先する日があってもいい。

けれど、あえて「不便」を受け入れ、美しい「型」を守るためにコートを羽織る。

その少しの緊張感と、自分を整えるプロセスの中にこそ、その人の本質的な豊かさが宿っているように思います。

めんどくさい中に人生を充実させてくれるヒントや成長の種があるのだと思います。